菊門花瓶



 
日本では古くからケツの穴のヒダが菊の花にを連想させることから、ケツの穴を菊門と呼んでいた。

8世紀末から9世紀初頭にかけての平安時代初期に、遣唐使として渡海した空海や最澄によって密教が中国(唐)から伝来しました。
仏教ではごく初期から十六小地獄(十六遊増地獄)の概念が成立しており、男性同性愛行為にも
  • 悪見処(あくけんしょ)
他人の子供に邪婬行をした罪人が落ちるとされる地獄
自分自身の子供が陰部から串刺しになる様子を見せられる。
また己の肛門から熱した銅が注がれ内臓が焼き爛れる苦しみを受ける。
  • 多苦悩処(たくのうしょ)
男同士で性行為をした罪人が落ちるとされる地獄
生前に愛した男が燃やされているのを見せられる。
罪人がそれを抱くと相手の男から発する炎で共に焼き尽くされる。
しかし再び生き返り、同じことが繰り返される。
といった罰が与えられるとされていた。

当時の密教(天台宗や真言宗など)の僧侶たちは女色だけではなく、本来の仏教では男性同士の肛門性交も禁じられていたため、稚児を観音菩薩の化身である聖なる存在へと昇華させるための宗教儀式である稚児灌頂を授けてから、稚児と契りを交わしていたようだ。
稚児灌頂を授けられるのは高僧に限られていたため、一般の僧も修行に必死になっただろう。

稚児の肛門は法性花とも呼ばれ、そこに挿入される高僧の一物は無明火と呼ばれた。
法性とはすべての事物や現象の真実のありのままの姿のことで、法性の花として菊が選ばれたのは、菊が仏に供える花(供華=くげ)として尊ばれていたことと無関係ではないだろう。

高僧と稚児、武将と小姓、先輩と後輩などの間で交わされる契りには菊門という呼び方がふさわしいだろう。

菊門を花瓶代わりにするするのも、まだ蕾の菊を開花させるのには最適な修行になるだろう。
1対1でも良いが、羞恥心を昇華させ献身を体得させるには複数で交代でやらせるのが更に効果的だ。
 


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