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尻の穴はヒダが菊の花のように見えることから隠語では菊と呼ばれ、衆道では菊門と呼ばれていた。 菊座、菊花、菊の蕾とも呼ばれていたが、比叡山に伝わる[弘児聖教秘伝(こうちごしょうぎょうひでん)]には「稚児は灌頂を受けることで観世音菩薩となり、慈悲をもって一切衆生を救う」と書かれており、高僧により稚児に灌頂が授けられた後の床入りの作法が詳細に記されているが、御法度である異性性交ではなく、汚れを知らない稚児に対する肛門性交によって抑えきれない性欲の発散を正当化するための作法が弘法大師によって密教の一部として日本に持ち込まれたということになる。 高僧のイチモツが無明火(むみょうか)と呼ばれていたのに対し、稚児の菊門は法性花(ほっしょうか)と呼ばれていたようだ。 |
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室町時代(戦国時代)の末期頃ヨーロッパからイエズス会の宣教師達が布教に来て驚いたのは公家から侍に至る階級の男色・衆道だったようだ。 数学、天文学、鉄砲・大砲鋳造などの紹介によって宮廷や幕府に取り入ったものの、当時の権力者達自身が男性同士の性行為に肯定的だったことが、キリスト教では大罪という教えとは相容れず問題だったようだ。 (カトリックの上層部の連中が実際は聖歌隊の少年達と性交をしていたことには目をつぶっていたわけだから、取り立てて目くじらを立てることもなかったはずだが…) |
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明治時代になると、西洋的な男色否定感が浸透し始めましたが、若衆宿的な伝統は軍隊や体育会に残って居たようだ。 元来、人間の新生児が生後すぐ乳房などをしゃぶって吸ったり、排泄をするのは生き残るために必要な行動として、快感を得られるように本能として授かっているもので、小便や大便をする行為は本能的に快感につながっている為、ケツの穴をいじられて感じてしまうことは不思議ではない。 最初は「ケツは勘弁して欲しいッス。」という体育会系のヤツでも、六尺褌や廻しを締めてしごかれている中に股間への食い込みが快感になり、やがて小さなアナルストッパーや張り型ならと覚悟を決め、ケツの穴に初めて異物を突っ込まれ、ケツを叩かれた瞬間、それまで感じたことのない刺激が直腸に伝わり、ケツマンの快感に目覚めるということが多い。 |